~福井、新潟 こしひかり発祥の地はどっち?~ 誕生の歴史
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スタッフ名:杉森
~黄金の稲穂~
こんにちは!
突然ですが、我が家前の田んぼで蛙の合唱がすごいです。最近、昼と夜の寒暖差があるので風呂上りに涼みに外にでるのが日課になっていますが、蛙の合唱は出た瞬間やみ、椅子に座り涼んでいるとまた鳴き始めます。意地悪してやろうと思って田んぼの近くに寄っていくと案の定鳴き止みます。しかし、その中毎回一匹だけは鳴き続け、何か“俺はここにいるぞ”と主張している様に思えて、ほっこりした気持ちになる今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
スタッフの杉森です。
今回は、田植えの季節にもなりましたので“福井のこしひかり”の歴史をご紹介したいと思います。
―「こしひかり」とはー
日本で栽培されている米の種類はうるち米で約200種類と言われています。その中で、長年作付面積、生産量ともトップなのは、「こしひかり」です。「こしひかり」といえば、新潟県のお米という印象が強いと思いますが、こしひかりは福井県で生まれた(?)お米なのです。
~「こしひかり」誕生の歴史~
1956年「こしひかり」が誕生しました。その誕生までには、多くの方々のご苦労がありました。まず、1944年(昭和19年)新潟県農事試験場において、「農林22号」を母に「農林1号」を父に【交配】が行なわれました。
母(めしべ)「農林22号」晩生、背丈高い、いもち病に強い。
父(花粉) 「農林1号」早生、背丈中、いもち病に弱い。
稲は自家受粉する植物です。
【温湯除雄法】別の品種と交配するには、1.43度のお湯に7分浸けて、花粉の機能をなくし、開花していない花を、すべて取り除きます。そして、父の品種の花粉を振りかける。
この技術が採用される前は、一つ一つの花のおしべを取り除いて、交配されていたそうです。気が遠くなる作業です。更に、こしひかりの両親のように、開花時期が異なる品種を交配する場合、日照時間を調整して開花を合わせます。
1947年雑種3代(F3)の20粒が福井県農事改良実験所(現福井県農業試験場)に送られ、石墨慶一郎博士が中心になって、特徴を安定、固定する選抜、育種が繰り返されました。
―新潟生まれ、福井育ち?―
ここで、疑問に思われるかと思いますが、こしひかりを作ったのは【交配】を行った新潟県では?
人間の子供が同じ親から生まれても、性格も性質も違うように、稲も育った環境や育てられ方によって、性質の違うものになります。何年もかけて、性質を安定させて、一つの品種が生まれるのです。こしひかりを作ったのは、【育種】【選抜】した福井の気候や風土であり、その開発に携わった方々のお力によるものなのです。とは言いますが、こしひかりがここまでのお米になったのは、「交配」し「奨励品種」に指定した新潟県の功績が大きいですが「こしひかり」の誕生までにはいくつかの苦難がありました。
1948年福井地震が起こり、多くの人々や家、田畑が被災しました。しかし、わずか20粒の米は難を逃れ、無事育つことが出来ました。戦後の食糧難の時代、多収、耐病性のある品種を作るために、何年もかけて育種、選抜を繰り返し、「こしひかり」は誕生しました。また、名前の由来は交配した新潟(越後)と育種した福井(越前)共通の「越(こし)の国でひかり輝く」という意味を込め「こしひかり」と命名されました。
―「こしひかり」の父―
石墨博士は、「コシヒカリの父」と呼ばれ、生まれ故郷の福井県坂井市丸岡町にその銅像が建立されています。長靴に白衣姿、手にはコシヒカリの穂を握っています。育種一筋だった、お人柄が偲ばれます。
「ふっくら」、「適度なモチモチ感」と「強い甘み・うま味」がこしひかりの主な特徴です。 炊き上がりのツヤ・香りも良く、何度食べても飽きが来ないご飯になります。
今回のご紹介は以上になります。日本のうるち米の作付割合の約37%。日本一の作付面積、生産量を誇る品種でより多くの都府県で栽培されている「こしひかり」が福井と新潟の努力によって誕生したかと思うと、何故か誇らしく思えます。また、休暇村越前三国でも福井の美味しいお米で皆様をお待ちしておりますので、どうぞお越しください。お待ちしております。
石墨慶一郎博士銅像 福井県坂井市丸岡町舟寄 休暇村越前三国より車で約30分