「丸岡城」 ~鬼作左の親心と”一筆啓上”~
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スタッフ名:杉森
「丸岡城」と「一筆啓上」の繋がり
今回ご紹介するのは「丸岡城」です。別名「霞ヶ城」とも言われています。この名の由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠した伝説からこう呼ばれています。そして北陸地方で現存する雄一の天守をもつ「丸岡城」は、戦国時代を生き抜いた城ともいわれています。
まず、「柴田勝家」の甥、「柴田勝豊」が築城し初代城主となりました。その後、勝豊は滋賀の長浜城と移動になり、代って城主となったのが「安井家清」です。しかし、賤ヶ岳の戦いにより勝家が滅ぼされると「丹羽長秀」の物となり、これで落ち着くかと思った矢先”関ヶ原の戦い”で「徳川家康」が勝利すると家康の次男秀康の家臣「今村盛次」が入城し城主となりました。ですが”越前騒動”(領民同士の争いをきっかけに藩内は二分され武力衝突が起こった)のせいで失脚。そして「本多成重」が城主となったのです。今回のお話の主人公はこの「本多成重」の父「本多重次」になります。
本多重次は「鬼作左」と呼ばれ恐れられていましたが、実際は「三河三奉行」の一人として活躍。法令に対しても仮名書きで分かりやすく書いて民衆に分かりやすく伝えたそうです。その様な気遣いが分かるのが↓
長篠の戦の時に妻にあてた短い手紙、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」。簡潔明瞭な中にも妻や子を気遣う優しさが短い分の中に伺う事ができます。そして、このお仙が後の丸岡城主「成重」です。
「本多重次」の気遣いを後世に ~手紙の文化~
「丸岡城」の近くに”日本一短い手紙の館”があります。人間関係が希薄と言われている現代に「本多重次」がだした手紙をもう一度見直し、手紙文化を復興させ様とこの館があります。なので館前にポストもあります。
館内で私が個人的に引かれたのは、愛媛県西予市のかまぼこ板の絵と日本一短い手紙のコラボ作品が印象に残りました。その他、色々な一筆啓上賞の入賞作品が並べられています。第29回一筆啓上賞の審査員には、「小室等さん」(シンガーソングライター)「夏井いつき」(俳人)「佐々木幹郎」(詩人)「宮下奈都」(作家)等豪華な顔ぶれが並んでいました。今年の第30回一筆啓上賞のテーマは「挑戦」だそうです。締め切りは2022年10月21日だそうです。一度興味のある方はまさに「挑戦」してみてはいかがでしょうか!
歴史的な「丸岡城」それに関係した親子の「日本一短い手紙」。感慨深い物を感じました。
今回のご紹介は以上です。興味のある方は是非お越しになってください。
「丸岡城」 福井県坂井市丸岡町霞町1-59 休暇村越前三国より車で約25分