「高松塚古墳」と「キトラ古墳」が、あまりにも有名すぎて。
美しい壁画を持つ古墳といえば、奈良県明日香村にある「高松塚古墳」と「キトラ古墳」。教科書で見ていたこの二つの古墳を目にした時は、「本当に存在するんだ」と、感動さえありました。しかし、この明日香村と言う場所には、石舞台古墳や天武天皇・持統天皇陵など、有名古墳が次々と、あたり前のようにあるのですから、驚きの連続でした。
特別史跡に指定されている装飾古墳は3つ
みなさんは、高松塚古墳とキトラ古墳とともに、特別史跡に指定されている美しい壁画を持つ古墳が、もう一つあることをご存知ですか?
それは、奈良県ではなく、福岡県嘉穂郡桂川町にある「王塚古墳」です。草刈りされたばかりの写真で、ちょっと整っていませんが。
時代の流れで見ると
王塚古墳は、高松塚古墳やキトラ古墳より1世紀以上前に造られた古墳で、その間の日本では、古代史上、日本の歴史上、大変重要で、大きな出来事があったことがわかります。
倭奴国王 後漢の光武帝より「金印」を受け取る。 57年
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卑弥呼 魏より「親魏倭王」の号を受け取る。 239年
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倭・高句麗戦争 391-404年
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磐井の乱 527年
★王塚古墳 築造 6世紀中頃★
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聖徳太子摂政となる 593年
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憲法十七条を制定 604年
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乙巳の変 645年
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白村江の戦い 663年
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水城・大野城 築城 664-665年
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壬申の乱 672年
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持統天皇 藤原京に遷都 694年
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★高松塚古墳 築造 7世紀末から8世紀初め頃★
★キトラ古墳 築造 7世紀末から8世紀初め頃★
※倭・高句麗戦争…朝鮮半島で行われた、倭と高句麗の戦争。
※磐井の乱…朝鮮半島南部へ出兵しようとした大和朝廷軍の進軍を、現在の福岡県の豪族、筑紫君磐井がはばみ、鎮圧された反乱です。
休暇村志賀島がある、福岡県の志賀島ゆかりの「あづみ族」が、休暇村リトリート安曇野ホテルのある、長野県の安曇野に、海を渡り移住したのは、この乱に磐井が敗れたことが原因とも言われています。
※乙巳の変…中大兄皇子(のちの天智天皇)・中臣鎌足(藤原鎌足)らが蘇我入鹿を暗殺して、蘇我氏を滅ぼした政変。その後、中大兄皇子は体制を刷新して大化の改新と呼ばれる改革を断行。
※白村江の戦い…朝鮮半島の白村江で行われた、百済復興を目指す日本・百済遺民連合軍と、唐・新羅連合軍との間の戦争。
※水城・大野城…白村江の戦いに敗戦後、唐・新羅の侵攻から大宰府政庁を守るため、大和朝廷は百済から逃れてきた亡命者の技術をかり築城しました。
※壬申の乱…天智天皇(中大兄皇子)の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げて勃発した乱。反乱者である大海人皇子が勝利するという、古代日本最大の内乱。 天武天皇から皇位を継承したのは、皇后の持統天皇。「天武天皇・持統天皇陵(下写真)」は、ご夫婦二人の合葬墳墓でした。
明日香村にある天武天皇・持統天皇陵
王塚古墳の美しい壁画
私は、この古墳から車で25分のところで育ったんですが、NHKの番組で見るまで、こんなに美しい模様の古墳があることすら知りませんでした。遠い奈良県の「高松塚古墳」と「キトラ古墳」は、子供の頃から知っていて、いつか見てみたいと思っていたんですが。勝者である大和朝廷ゆかりの場所と、地方豪族の違いでしょうか。
壁画の写真はレプリカの写真です。
壁画の写真は、古墳の横にある「王塚装飾古墳館」にあるレプリカの写真です。本物の公開は、春(4月)と秋(10月)の年に2回のみ公開を行われていますが、令和4年の秋は中止のようです。
配置はこんな感じです。
王塚装飾古墳館
竹原古墳 本物の装飾壁画をいつでも見ることができる古墳
福岡県若宮市竹原
まず、階段下にある「若宮市 生活センター」で、大人220円の入場料を支払うと、古墳に案内してもらえます。
階段上に神社と古墳があり、古墳の横に建物があります。建物のシャッターを開けると、大きなTVがあり、この前に座り、5分間位のビデオを見せてくれます。ビデオを見終わると、壁画観察準備室というところに案内されます。この部屋に、扉があります。扉は、高さが、普通の扉の半分位で、這うようにして、中に入っていきます。「ワクワク」です。
いよいよ装飾壁画
小さな扉を這うようにくぐると、小さな部屋があります。ここは古墳の中と思われます。この部屋に小さなガラス窓があり、その先に本物の装飾壁画があります。すごい!
竹原古墳
最寄りの休暇村は 金印発掘の地にある
休暇村志賀島