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2022.10.31

2023年大河ドラマ『どうする家康』ゆかりの「久能山東照宮」

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スタッフ名:磯﨑

予期せぬことが次々に起きる戦乱の世をどう生きた?!
2023年の大河ドラマは「どうする家康」。室町時代後期から江戸時代を舞台に、家康の人生に訪れた3つの大きな決断を元に、天下人に昇りつめたストーリーとのことですが、主演の徳川家康役が、嵐の松本潤さん!家康=ずるがしこい「タヌキ親父」のイメージとは程遠く、そんなギャップもあって今からとても楽しみです。
今回は、そんな家康が遺言に残した埋葬場所「久能山東照宮」をご紹介します。
1605年、家康は駿府を隠居所に決めて大御所政治を始めました
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なぜ、家康は駿府を隠居所に選んだのでしょうか。
1つには、19歳までの12年間を、駿府にあった今川義元のもとで人質として生活しており、駿河には土地勘があったこと。西に大井川、東に富士川、北に赤石山脈、南に太平洋という「要害の地」であったからでは、ともいわれています。

左:駿府城 巽櫓(たつみやぐら) 中:駿府城 東門   左:駿府城 北御門跡 
 
「久能山は、駿府城の本丸と常に思召す」と説いた家康
家康は、生前、「久能山は駿府城の本丸だ」 と語り、守りやすく攻め難い地の利の重要性を説いていました。また、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残しました。
久能山東照宮は、1616年、波乱に満ちた75年の生涯を閉じた徳川家康をご祭神として祀っています。

左:久能山東照宮全景 案内板  
右:石鳥居 東照宮への参拝はここから始まります。
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決断の時・・・どうする磯﨑!
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久能山東照宮への参拝は久能山の山下から海側の表参道を登る方法と、山側の日本平からロープウェイで久能山に渡る方法があります。表参道の石段は1159段あり、地元では「いちいちごくろうさん」と呼ばれています。1957年に日本平ロープウェイが開通するまでは、この表参道が唯一の参拝路だったことを思うと、人々を寄せ付けない聖域だったことが伺えます。
ワタシ磯﨑は、1159段の石段を登り切った先にある感動に期待して、迷わず表参道からの参拝方法を選びました。

左:久能山東照宮周辺ご案内版
中・右:表参道 山下石鳥居より本殿前まで17曲り1,159段あります
家康が久能山を選んだ理由は、眼下に広がる駿河湾の絶景か?!
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そんなキツイ石段を登り続けると一ノ門に到着します。一ノ門入り口からは、1159段の石段を登ったご褒美として、駿河湾一望の絶景が見渡せます。

左:一ノ門 山下より17曲りの石段を登りつめたところにある門で、ここからは駿河湾、 伊豆半島、御前崎が一望できます。
 
日光東照宮より家康が身近な久能山東照宮!!
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表参道を登りきって社務所前を通り過ぎると、朱塗りの大きな門が目に入ります。楼門(ろうもん)です。
また、境内には数多くの梅や桜があり、早咲きの品種は12月下旬から咲きはじめ、遅咲きの品種が咲く4月中旬まで、境内が桃色に染まる様子を楽しむことができるようです。

左:楼門(重要文化財) 楼門という2階建ての門です。 中央の蟇股(かえるまた)に獏(ばく)の彫刻があり、表側左右の格子戸内に随身、裏側左右の金剛柵内に狛犬が据えられています。
豪華な彫刻と階段が比例する境内
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豪華な彫刻が彫られた楼門から社殿に至る参道の両脇には、神楽殿、神饌所、鼓楼、神馬像を納めた神厩が並びます。また、神楽殿奥の高台には神庫と末社の日枝神社本殿が鎮座します。でも、また階段を登ります。

左:楼門から社殿を望む
右:日枝神社 大山咋命(おおやまくいのみこと)が御祭神。創建当時は本地堂として薬師如来像が安置されていましたが、明治時代の神仏分離の際に仏像を移し、楼門内東側に鎮座していた山王社の御神体を納めて、社名を日枝神社と改め現在にいたります。
国宝に指定された社殿の他、現存する建物は全て重要文化財
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御社殿は、家康を祀る霊廟として1617年に創建されました。権現造、総漆塗、極彩色の御社殿は日光東照宮より19年前に造られ、彫刻、模様、組物等に桃山時代の技法をも取り入れられた江戸初期の代表的建造物として国宝に指定されています。
豪華な彫刻も含め静岡県屈指のパワースポットとしても知られています。

左:拝殿正側面
右:拝殿正面
パワースポットでもある神廟へ
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御社殿の更に奥に進むと、廟門から神廟までの間をつなぐ廟所参道があります。廟門から神廟までの約40段の石段があり、左右には家康に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が据えられ、厳かな雰囲気が漂っています。
いよいよ神廟に着きました。徳川家康が埋葬された廟です。この神廟は家康の命により西向きに建てられているそうです。西の方には、岡崎の松平家の菩提寺大樹寺、家康誕生の地である岡崎城があり、更にその延長線は京の都へと続いています。

左:石段看板
中:廟所参道
右:神廟
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久能山東照宮の旅、いかがでしたでしょうか。
家康が駿府に隠居することを決めた理由には、「駿河には一に富士山、これは三国中(日本・中国・天竺)唯一の名山。見飽きることがない。二に鷹がよい。三に茄子を名産として、他所より早々に食べられる。またすばらしく美味じゃ」といった理由もあったとか。縁起がいいとされる初夢の「一富士、二鷹、三茄子」は、すべてが駿河国の名物だったのですね!
縁起の良い駿河静岡の旅、おすすめです。



 
 

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