対馬って、どんなトコ??
対馬ってこんなトコ
対馬とは日本海の西、九州本土と朝鮮半島のほぼ中央に位置します。
南北82km・東西18kmと細長く車で南北に走ると3時間以上かかり、面積は約700k㎡と日本の中では北方四島・沖縄本島を除けば佐渡島・奄美大島に次ぐ3番目の大きさで人口は約3万人です。
地形的には複雑に入りくむリアス式海岸が特徴で、島の89%を占める山林が海岸線まで迫っていることからも、対馬がはるか昔にはユーラシア大陸と日本が陸続きだった事が伺い知れます。
九州本土からの距離は玄界灘と対馬海峡東水道をはさんで約132kmに対して、朝鮮半島までは対馬海峡西水道をはさんで約49.5kmと、まさに「国境の島」です。
対馬は何県?
対馬は何県でしょうか??
正解は「長崎県」です。
福岡県にも佐賀県にも長崎県にも近いので、少し調べてみました。
1869年版籍奉還をおこない、新藩制により厳原藩と改称
1871年7月の廃藩置県によって厳原県(いづはらけん)となり、その年の9月に伊万里県(いまりけん)に編入
翌1872年に伊万里県は佐賀県に改められ、その後対馬地域は1876年4月に三潴県(みずまけん・現在の福岡件筑後地域)に合併
同年8月に長崎県の管轄に移行
調べてびっくり!福岡県にも佐賀県にも在籍していた期間がありました。
対馬へのアクセス
「国境の島」「離島」というと、気になるのが島へのアクセス。
遠くて時間がかかるイメージを抱きがちですが、実は便利な対馬へのアクセスをご紹介します。
【空路】
福岡空港と長崎空港から対馬やまねこ空港へ定期便が就航しています。
福岡空港から 1日5往復:約30分
長崎空港から 1日4往復(金・日曜日は5往復):約35分
空の上から、切り立った断崖が海に落ち込む自然海岸、リアス式海岸と無数の小島が織りなす浅茅湾など、雄大な対馬の景色を楽しむことができます。日が落ちてからは、海の上に等間隔に並ぶ無数の光、漁火を見ることもできます。
【海路】
博多港から厳原港と比田勝港へ定期便が就航しています。
博多港-厳原港
高速船 1日2往復:約2時間15分(壱岐経由)
旅客フェリー 1日2往復:約4時間40分(壱岐経由)
博多港-比田勝港
旅客フェリー 1日1往復:約5時間(直行便)
夜行便もありますので、時間を有効に使うことができます。安さを重視するならば、船旅もおすすめです。運が良ければ海上でイルカやクジラに遭遇できるかもしれません。
島内ではレンタカーや路線バスのフリーパスなどもございます。
各種アクセスの詳細につきましては、下記外部リンクをご参照ください。
対馬へのアクセス詳細はコチラ
【知れば納得】対馬の歴史と文化
日本と大陸との中間にある対馬は、その地理的条件から、古来より大陸と日本をつなぐ窓口のような働きをしてきました。
対馬に関する既述が最初に登場する文献は、弥生時代末期(3世紀)に編纂された中国の歴史書「魏志倭人伝」です。「魏志倭人伝」の描写によると、断崖絶壁が多く、山が深く、道は獣道のように細い。また、水田が少なく、海産物を食し、朝鮮半島と日本本土を往来して交易を行っている。と、されています。
弥生時代の対馬の海洋民は航海術を駆使し小舟で大陸を往来しており、時に荒れ狂う対馬海峡の航海は危険に満ちていたため、対馬には多くの海神信仰が定着しました。
和多都美神社(画像1枚目)には、そんな海の女神・豊玉姫が祭られており、古くから龍宮伝説が残されています。裏参道を奥に進むと神聖な空気漂う中にその墳墓とされる磐座があります。
その後、飛鳥時代から平安時代にかけての防人の時代や、鎌倉時代の元寇、豊臣秀吉による朝鮮出兵など、古代から中世にかけて国防の最前線としての役目を果たしてきました。
江戸時代に入り秀吉の朝鮮出兵によっていったんは断絶した朝鮮との国交を回復させた後は、幕府から朝鮮外交を一任されました。
対馬藩主である宗家の菩提寺で、元和元年(1615年)に二代藩主、宗義成(そうよしなり)が創建した「万松院」は国指定の史跡となっており、百雁木(ひゃくがんぎ)と呼ばれる特徴的な石段の先(画像2枚目)に宗家一族の墓所があり、樹齢1200年とされる大スギ3本が荘厳な雰囲気を感じられます。
明治期に入ると、ロシアやイギリスをはじめとする列強の対馬接近に脅威を感じた日本政府は、国境最前線であった対馬島の要塞化を図りました。
島内の各所に砲台や堡塁(ほうるい・ほるい:小型の要塞)が築かれ、1922年のワシントン海軍軍縮条約の結果、廃艦となった軍艦「赤城」の主砲(「長門」「土佐」という説もあります)が移設されたと言われている「豊砲台」(画像3枚目)は、当時としては世界最大級を誇りました。
実践では一度も発射することがなく、「撃たずの砲台」と言われたりもしますが、第2次大戦時に日本海側の都市に艦砲射撃による被害がなかったのは、対馬要塞の強力な火砲による威圧の効果が大きかった為、という説もあります。
【見どころ満載】対馬の自然
島の面積の9割が森林で覆われている「山の島」でもある対馬は、各地に原生林も残されており、島の中央部に位置するリアス式海岸・浅茅湾(あそうわん)は、壱岐対馬国定公園にも指定されている景勝地です。
自然環境も非常に独特で、その昔、日本と大陸が陸続きであったことを受け、大陸の影響を強く受けたユニークな生態系が形成されています。
日本本土にも生息している種以外に、日本では対馬にしか生息していない大陸系の種や、対馬が島になってから進化した対馬固有種などが入り混じり、日本列島の形成や種分化の歴史を紐解くカギを提供しています。
中でも「ツシマヤマネコ」は、対馬だけに生息する野生のネコです。約10万年前に当時陸続きだった大陸から渡ってきたと考えられ、 ベンガルヤマネコの亜種とされており、1971年に国の天然記念物に指定されています。生息環境の悪化や交通事故などで生息数が減少し、 絶滅のおそれのある野生動植物として、1994年に種の保存法に基づき国内希少野生動植物種に指定されました。
島内では、そんなツシマヤマネコを交通事故から守ろうと「飛び出し注意」ならぬ「ヤマネコ注意」の喚起看板が見られます。(画像1枚目)
また、これぞ「国境の島」と実感できるのが「韓国展望所」(画像2枚目)です。
韓国まで49.5㎞の至近距離にあり、天気のよい日には韓国釜山市の町並みが望めます。(画像3枚目)
この展望所は、地理的にも歴史的にも深い関係にある韓国の古代建築様式を取り入れて建造されており、展望台についてはソウルのパゴダ公園にある多目的施設を、ゲートについては韓国国際ターミナル(釜山)の入口ゲートをそれぞれモデルにしています。
【忘れちゃいけない】対馬のグルメ
周囲を海で囲まれているうえに、島の面積の9割が森林という対馬では、海の産業も山の産業も盛んです。東シナ海と日本海とをつなぐ対馬海峡は、日本有数の好漁場。
ブリ、サバ、アジといった馴染みの魚から、アマダイやノドグロ、アラなどの高級魚まで、様々な魚が水揚げされています。中でもアナゴやイカ類、ヒジキ、サザエといった魚介類は、日本の中でも屈指の生産量を誇ります。
対馬伝統の豪快な魚介料理「石焼き」(画像1枚目)
新鮮な魚介や野菜を石英斑岩という石の上で焼いて食べます。熱された石の上でジュージューと音を立てて焼かれた魚介と野菜に箸が止まりません。
対馬のソウルフード「とんちゃん」(画像2枚目)
「とんちゃん」とは、対馬在住の韓国人が伝えた本場の味を日本人好みに改良した焼肉料理で、朝鮮半島と九州の間に位置する対馬では、双方の影響を受けながら独自の食文化とも言えます。
幻の離島蕎麦「対州そば」(画像3枚目)
蕎麦は、現在の中国南部で自生していた種が、縄文時代に日本へ入ってきたといわれています。どのような経路で伝わったかといえば諸説ありますが、その一つが大陸と最も近い日本の島・対馬を経由したという説です。
山地が多く、わずかな平地しかない対馬では、「山地」「養分が少ない」といった厳しい条件の土地でも育つ蕎麦が、貴重な食料源として育てられてきたのです。
対馬の在来種である「対州そば」はナッツのような強い香りが特徴的です。対馬以外ではほとんど口にすることができない幻の蕎麦、一食の価値有りです。