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観光

2024.12.14

英彦山神宮(ひこさんじんぐう)と小石原焼・高取焼・小鹿田焼

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スタッフ名:矢津田

英彦山がらがら 日本最古の土鈴・魔除けの鈴

英彦山がらがらは、約800年の歴史をもつ日本最古の土鈴。干ばつが続いた際、恵みの雨をもたらせた英彦山にお礼の鈴を文武天皇が奉納したことが由来と云われています。私が育った地域では、家の玄関や勝手口などに、魔除けの鈴として吊るされています。

近くの道の駅にも売っていましたが、「英彦山」の文字が入ったものは、英彦山神宮でしか買えないと聞き、英彦山神宮で買ってきました。
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添田観光情報局 英彦山がらがら

英彦山神宮

英彦山神宮は福岡県で唯一の「神宮」です。神宮は祀られている神が、皇室の祖先であるなど皇族と縁の深い神社です。英彦山神宮には、天照大御神の御子神、天之忍穂耳命[あめのおしほみみのみこと]を祀られています。英彦山全体が神域です。
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英彦山は日本三大修験山のひとつ

英彦山は、羽黒山、熊野大峰山とともに日本三大修験山のひとつでもあります。中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の道場「英彦山権現様」として栄えましたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年6月24日、天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になったと説明があります。
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英彦山の急な階段

この地域で育った私は、子供の頃は両親とよく英彦山神宮に参拝に来ていましたが、階段がきつかったという思い出しか残っていません。60才になり、あの階段はきついなと思い、平成17年にできたというスロープカーを使い登ってしまいました。チケットは往復で買っていましたが、あまりに楽で、心が痛くなり、帰りは階段を使い降りることにしました。
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俗界から遠く離れた清浄なる神々の聖域 英彦山神宮

英彦山と柚子胡椒

英彦山周辺は柚子胡椒発祥の地とも言われています。英彦山の山伏たちが、山に多く生息柚子ていた柚子を用いて、薬にしていたものがはじまりともいわれています。
近くの道の駅では、全国区となりつつあるお馴染みの「青」だけではなく、他の地域ではあまり見ない「赤」「黄」など、手作り柚子胡椒の種類も豊富です。発祥の地と言っても、一年中あるわけではありません。7月に来た時は、柚子の入っていない、青胡椒?しか買えませんでした。柚子の収穫期を超えた今回は豊富です。「黄」は辛いと書いてあるので、「青」と「赤」を買いました。

個人的には、味噌汁には「赤」、鍋には「青」が好みです。

英彦山から小石原焼(こいしわら)・髙取焼(たかとり)の里へ

小石原焼と聞いて、どのような焼き物でどこにあるのかかわからない人も多いと思いますが、小石原焼を代表する技法「飛び鉋(とびかんな)」(写真)の器を見ると、見た事があるという人も多いのではないでしょうか。

素朴なデザインの小石原焼は、和食には使いやすい器だと思いますが、パスタ等洋食にも合うんじゃないでしょうか。無印良品の器のような、シンプルものが好みの方にも好まれるような気がします。
 
小石原焼の窯元がある福岡県の東峰村は、英彦山から車で20~30分、お隣りは進撃の巨人でも盛り上がる大分県日田市です。
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豊臣秀吉の文禄・慶長の役で、西国大名は、多数の朝鮮人陶工を連れ帰り、各地に焼き物の窯を開かせました。この場所には、 福岡藩主黒田長政が連れ帰った陶工が福岡県直方市鷹取山の麗に窯を築いた髙取焼、その二代目が開窯した窯がありました。
その場所に、黒田3代藩主・光之が招いた伊万里の陶工が磁器を伝え、既に小石原にあった髙取焼と交流することで、小石原焼が形成されました。
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天空の窯郷 こいしわら

東峰村 小石原焼・髙取焼

柳宗悦に「世界一の民陶」と絶賛された小鹿田焼(おんたやき)

県境を超えた日田市には、柳宗悦 (やなぎ・むねよし) により「世界一の民陶」と絶賛された小鹿田焼の里があります。小鹿田焼は小石原より招かれた陶工によって始められました。技術の伝承は、親から子へと受け継がれる一子相伝の世襲制で、現在の窯元は開窯時からの流れを汲んだ10軒のみです。

この日田市の南は熊本県の阿蘇に向かいます。英彦山、小石原、日田、阿蘇とつながる、歴史と文化の旅をお楽しみください。
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小鹿田焼の里で撮影 集落を流れる川の力を動力にして打たれる土

小鹿田焼の里

世界一の民陶といわれた小鹿田焼(おんたやき)の歴史に迫る

福岡県の中のこの場所のお話でした

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休暇村南阿蘇