川端康成は湯本館でワーケーション
Work(ワーク)」+「Vacation(バケーション)」=ワーケーション
川端康成は湯本館
梶井基次郎は湯川屋
井上靖は白壁荘
田山花袋や島崎藤村は落合楼
伊豆半島の中部に位置する「天城湯ヶ島」には、
多くの文人が逗留し、多くの作品が生まれました。
天城湯ヶ島は、文人たちのワーケーションの場所として、
人気のリゾート地だったようです。
天城湯ヶ島には、本谷川と猫越川という天城山系の清流があり、
この二つの川が落合楼付近で出会い、狩野川になります。
多くの宿は、この清流沿いに建っています。
山林渓谷の風景、天城山系の清流、天城山麓の農村風景、
狩野川のほとりに湧出する温泉。
文人たちを惹きつける空気感のある場所のようです。
今でも泊まることのできる文人が愛した宿
川端康成が逗留した「湯本館」
井上靖が逗留した「白壁荘」
多くの文人墨客が逗留した「おちあいろう」
私が宿泊したことがあるのは白壁荘です。
まだ若い頃で、当時の白壁荘には新しい本館と、
清流沿いの別館があり、
いつかは清流沿いの別館にある、
井上靖が逗留した部屋に泊まってみたいと思っていました。
「あまんじゃく」という部屋名だった記憶があります。
下の写真は川端康成が逗留した湯本館です。
川畑康成が宿泊した部屋は、「川端さん」と名付けられ、
当時のままを保存されているようです。
湯本館には若山牧水も逗留していました。
湯川屋は廃業したようです。
【湯川屋】昭和元年の大晦日に湯ヶ島に訪れた梶井基次郎は、
落合楼に宿をとり川端康成に面識を得るため訪ねます。
落合楼には一晩しか宿泊出来ず、
以降は川端康成が確保してくれたこの湯川屋に滞在したようです。
梶井基次郎は毎日川端康成を訪ね、伊豆の踊子の校正も手伝ったようです。
(日経新聞2017年11月4日 傍らにいた人より)
湯川屋から湯本館までは歩いて10分ほどでした。
湯川屋は残念ながら廃業したようです。
湯道 文人や里人が愛した共同浴場への道
ここには「湯道(ゆみち)」という散歩道があります。
湯ヶ島には地域の人たちの共同浴場があり、そこに通うため道が「湯道」でした。
この「湯道」は、美しい名を残し、雰囲気をこわさないように整備された散歩道です。
湯道マップ
私がまだ二十代だった頃、
井上靖の常宿だった、白壁荘のご主人だった宇田博司さんから、
この散歩道「湯道」の構想を聞いたことがあります。
湯ヶ島には、地域の人たちが通う共同浴場があり、
そこに通うための「湯道」がある。
その道を観光客も利用できるように整備をする。
のんびり歩けるようベンチを作る。
標高の高い場所に咲くシャクナゲの中に、
低いところでも咲くものが現れることがある、
それを増やし、道沿いに植樹する。
二つの清流が合流する場所に橋を作り、
「男橋」と「女橋」、「出会い橋」と名をつける。
魅力的な方で、こんな感性を持った人がいるんだなと、
大変、刺激を受けました。
著作の「いのしし武者 白壁荘夜話」も読ませて頂きました。
湯道とベンチ
出会い橋・男橋
出会い橋・女橋
湯道の風景
つり橋
共同浴場
湯本館のとなりにある「河鹿の湯」
湯川屋の近くにある「世古の湯」
滝の湯は組合員専用
あの「天城越え」の舞台でもあります。
石川さゆりの名曲「天城越え」、
映画化やドラマ化された松本清張の小説「天城越え」、
私は田中裕子さんが主人公の映画が印象に残っていますが、
その舞台もこの天城です。
映画や歌詞に登場するに天城山隧道(旧天城トンネル)は、
旧道に残っています。
石川さゆりの「天城越え」の歌詞出てくる地名はここです。
天城の紅葉は11月から これからです。
伊豆半島の魅力は海だけではありません。
下田、南伊豆に向かうには、
主に、東海岸ルート、天城超えルート、西海岸ルートがありますが、
天城越えルートは伊豆の海とは異なる魅力を感じることができ、
新緑や紅葉も楽しめるルートです。
伊豆と文人に関するブログ
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