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2018.11.20

283回目の命日

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スタッフ名:小森克敬

昨日、11月19日は大石りくさん、283回目の命日でした。大石りく、ご存じですか?
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大石りくと言われて??? な方も、
大石内蔵助と言われれば、100人中95人ぐらいは「ああ、忠臣蔵の」という返事が返ってくるはず。

来月14日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りを行った日ですが、討ち入りの中心人物だったのが大石内蔵助。
そして、内蔵助の妻が大石りくなのです。

 
大石りくは、1669年豊岡市に生まれました。
豊岡駅から歩いて15分ほど、市立図書館の近くに生誕の碑が立っています。

ご案内いただいたガイドさんによると、この碑が建っているのは、京都の山科から戻って来たりくが住んでいた場所で、生誕の地は石碑から50m北側なんだそう。(ブラタモリっぽいですねぇ)
 
18歳の時に、赤穂藩の大石内蔵助と結婚。
子宝にも恵まれ、幸せな結婚生活を送っていたのですが、松の廊下の刃傷沙汰でその人生は一転。
りくの運命は荒波に巻き込まれていくのでした~ (って講談みたいになってきた)

そんなりくさんを偲び、毎年11月19日に追悼法要が行われているのを知り、
たまたま仕事が休みだったので、参加させて頂きました。

 
場所は豊岡市日撫にある正福寺。生家のある市街地から20分ほど歩いた、円山川の東側です。

りくのお墓は、亡くなった時に住んでいた広島県にあるのですが、正福寺には早くしてなくなった一男一女のお墓。そして、それに寄り添うように、りくの遺髪塚が立ててられています。
(りくの遺言なんだそう)



 
りくが亡くなって300年近い月日が流れているにも関わらず、本堂の中には大勢の参列者。代表の方のご挨拶に続き、読経、そして歌の奉納。
いまも「大石りく」が心の中に生き続けている人がいる豊岡の街を感じ、冷たい雨が降っていましたが、何だかあったかい気分で家路につきました。

帰り際、参列の皆さんへ、と。お土産を頂きました。豊岡銘菓「鹿まんじゅう」 これ、美味しいんです!!

「鹿まんじゅう」の詳細

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