桂小五郎と城崎温泉
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スタッフ名:小森克敬
今年のNHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」
今週末(11/18)の放送を含めて、残り5回で最終回なんですね。
私は1回も見てません。大河ドラマって、見るとほぼ間違いなくはまってしまうので、見始めるのに覚悟と体力が必要なんですよねぇ。という訳で、今季は見送りました。
(私も含めて)幕末好きが語り始めると、誰が好きかで盛り上がる事が多いもの。
坂本竜馬や西郷隆盛、高杉晋作といった有名どころから、新鮮組のマイナーな隊士や長岡藩の河井継之助まで。お酒の席のテーマとしてはこと欠きません。
ちなみに、昨日(11/15)は坂本竜馬と中岡慎太郎の151回目の命日でした。
竜馬や高杉のような破天荒さは無いものの、幕末には絶対的に必要な人材であった(と個人的に思っている)のが桂小五郎。明治維新後の木戸孝允です。
※幕末に興味のない方はササっと読み飛ばしてください。
桂小五郎が城崎温泉に・・・・
江戸末期の1864年7月、長州藩は京都で禁門の変(蛤御門の変)を起こします。しかし、薩摩・会津の圧倒的な勢力に敗北。長州藩は朝敵となってしまい、幕府による厳しい残党狩りに晒される日々。身の危険を感じた小五郎は、京都を脱出。4日間で120キロを踏破し、出石(豊岡市)へと身を潜めます。
☝ と言うのは、比較的多くの方が知っている話で、出石には小五郎が滞在していた場所や、住職さんと囲碁を打っていたお寺などが、ガイドマップにも掲載されています。
5か月ほど、出石に潜んでいた小五郎ですが、追手が迫って来た事を察知し、城崎温泉へ。
城崎温泉に7つある外湯のひとつ「曼荼羅湯」のそばにある『つたや』 さん。
江戸時代には松本屋という屋号の湯治宿だったそうですが、小五郎はこの宿へ身を寄せました。
京都を追われた桂が、但馬(出石)に潜んでいたのは、ウィキペディアなどにもアップされていますが、潜伏先を城崎温泉に変えていた事は以外と知られていない。と言いますか、そこまで細かな情報は、一般的に必要ないのでしょう。
1865年、桂小五郎が再び歴史の表舞台に登場する直前。
わずか3カ月ではありますが、小五郎は城崎に滞在して湯に浸かっていたんですねぇ。
宿の前には、小五郎が滞在したした史跡や、宿での逸話を刻んだ石碑が。
そして司馬遼太郎!
幕末と言えば司馬遼太郎さんは外せません。
「竜馬がゆく」「最後の将軍」「世に棲む日日」「翔ぶが如く」「坂の上の雲」・・・・・・
NHK大河ドラマの原作になった作品が、いったい何作あるのやら。
その司遼さんも、昭和38年「つたや」さんに宿泊したんだそう。
何だかジーンときますねぇ(私だけ?!)
司馬遼太郎が但馬を訪ねた理由は・・・
司馬さんは、随筆「わが城崎」(未発表)のラストに、こんな事を記しています。
桂は後にこそ木戸公爵になったが、当時は朝敵である。幕府のおたずね者の長州人であった。しかも彼をかばった何人かの但馬人、つまり出石の小商人や城崎の湯宿の母娘などは、彼がどこの馬の骨とも知らない。そういうものを命がけでかくまうというこの土地の人情の不思議さを、私は知りたかった」
・・・「つたや」さん所蔵の原稿より抜粋
桂小五郎さんは1877年。そして司馬遼太郎さんは1996年にお亡くなりになりました。
でも、153年前に桂さんをもてなし、55年前に司馬さんを但馬へ駆り立てた「この土地の不思議な人情」は、今でも残っているような気がします。そんな但馬へ、足を運んでみませんか。カニも美味しい季節ですし。
(最後は宣伝か~い!)
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