帝釈峡の由来と伝説~帝釈峡には神仏の加護がある?
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スタッフ名:福井
皆さま、いつも休暇村帝釈峡スタッフブログをご覧いただきありがとうございます。皆さま、いかがお過ごしですか。暖かい日差しの日が増えてきてはいますが、まだまだ帝釈峡は夜が冷える日が続いております。自然の木々は青々としてきており,夏が近づいている気配がしております。
今回は、自然の事から少し離れ、帝釈峡の歴史について紹介したいと思います。
まず、帝釈峡の「帝釈」って何か知っていますか?この「帝釈」というのは、仏教の中の仏様に帝釈天という仏様がいらっしゃり、それに由来します。帝釈天は、お釈迦様に仕える仏様の1人であります。
なぜ、この場所が帝釈天に由来した地名であるのかという事に関して、帝釈峡の近くに永明寺という古いお寺がございます。そこのお寺には仏像があり、この帝釈峡の名前の由来となった、帝釈天が寺の本尊でいらっしゃるそうです。残念ながら、仏像を見ることは叶わず、遠目からお寺の外観を眺めることしかできませんが、帝釈天とこの地の関係性がうかがえますね。帝釈天が見守っている地だからこそ、帝釈峡は今日も自然あふれる神秘的な場所として、仏様の名前がついて帝釈峡という名前が付いているのでしょうね。
また、この地域に日本神話に出てくるイザナミにも由来しています。イザナミは、『古事記』に登場する日本誕生に関わった夫婦神の妻です。なぜ関係があるのか大まかに説明すると、イザナミが大やけどで亡くなり死後の世界に行きます。妻の死を悲しんだ夫イザナギは死後の世界へ妻を迎えに行きました。しかし、見ないでくださいという声掛けにも応じずに妻の姿を見てしまい、イザナミは大激怒、夫を追いかけまわします。以上のように、イザナミは、神話上ではこのように死後の世界の住人になってしまうのです。
さて、この帝釈峡の周辺に、比婆山という山がございますが、この山こそがイザナミが亡くなった時に、イザナギが墓を建てた場所だと言われています。この地域は、イザナミにもゆかりがあったんですね。
帝釈峡の中で一番の観光スポットに、雄橋がありますが、
雄橋に行くまでの道には、鬼の供養塔や鬼の唐門、
雄橋の下には石積みがあります。
更に、近くに賽の河原という場所もございます。
帝釈峡は、イザナミと関連して死後の世界との接点を感じられる場所やものが多く存在しています。東城町のメイン道路には、「比婆いざなみ街道」という名前がついていたりしますが、なぜそんな名前が付いたのかについても、解消できたのではないでしょうか。
ここで余談ではありますが、お隣岡山県には桃太郎伝説がありますね。実は、この二人の追いかけっこの最中イザナギは、イザナミと一緒に追いかけてきた死後の世界の住人達に対して、いろいろなものを投げつけて退治しているのですが、その投げたものの中には桃が入っているのです。桃太郎の物語は、なぜ桃なのかという疑問があると思いますが、それは、桃が神話の中で悪いものを退治できる効能を持っていたからなのです。イザナギは、桃のその効能をたてて、桃に神の名前をつけたほどなのです。なぜ桃だったのかという疑問に関して、神話ゆえに桃が一番だった為、桃が選ばれたのでしょう。私としては、まさか…イザナギが投げつけた桃が、川を流れてドンブラコしたのか……?なんて想像もできてしまい、ロマンを感じるとともに想像が膨らみます。
加えて、前半に帝釈天のお話をしたと思いますが、帝釈天は釈迦如来のお供であるほかに、死後の世界の者の侵攻を防ぐ番人の役割を務めてもいるんです。意外なところで仏様と神様どちらともに、帝釈峡との関係性が見えてきましたね。
いかがでしたか? 随分と長々と話をしてしまいましたが、帝釈峡は仏様にも神様にもゆかりがあることを、少しでもお伝えできたでしょうか。その関係性ゆえに、神秘さを感じられる場所であるといえる帝釈峡は、自然の豊かさ・壮大さという点のみならず、歴史的にも古代の時代において重要な場所であると見ることが出来るのではないでしょうか。私自身、歴史が大好きなもので、勉強するにあたってとても楽しく知ることが出来ました。
皆さんも是非、帝釈峡の歴史について調べたり、実際に足を運んで肌で空気感を味わったりしてみてください。もしかしたら、神様仏様のオーラを感じられるかも………? 以上、歴史大好き福井でした。