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2024.06.10

~草加宿~ 日光街道 第二の宿駅として

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スタッフ名:瀧水

~草加宿~ 約400年の歴史を感じる
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日光街道は江戸から日光までの約140kmを結ぶ街道で、慶長11年(1606年)当時の千住と越ヶ谷の間は沼地が多く、大きく迂回する必要がありました。
そこで、宿篠葉村(今の草加市松江町)の大川図書という人物が、芽野を開き、沼を埋め立て、街道を真っすぐにする新道を開いたそうです。この時、沼地の造成に沢山の「草」が用いられた事から「草加」と呼ばれるようになり、その後、千住と越ヶ谷間に宿駅を設けることが幕府によって命じられ、寛永7年(1630年)に付近の村々によって「草加宿」が設置されました。
 
~草加松原~ 
草加松原は、日光街道の綾瀬川沿い約1.5kmの松並木です。
江戸時代より、「草加松原」や「千本松原」と呼ばれ、日光の杉並木と肩を並べる名所となっていたようです。
松の植樹時期は定かではありませんが、一説では、天和年間(1681年~1684年)に関東郡代伊奈半左衛門が綾瀬川を開削したときにあわせて、日光道中を改修した際に植えたといわれています。
草加松原は、松尾芭蕉の弟子、河合曽良と「おくのほそ道」の旅で記した一群の名所・由緒・来歴の地からなる一体の風致景観であり、後世の人々に風景観に影響を与えているものとして、「殺生石」、「黒塚の岩屋」、「大垣船町川湊」等と合わせて、国指定名勝「おくのほそ道の風景地」にも指定されています。
 
「もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう早加(草加)といふ宿にたどり着きにけり」
~札場河岸~
綾瀬川は、江戸時代の中期から、草加地域と江戸を結ぶ大切な運河として、流域の各所では河岸が設置され、穀物等の集散地として発展しました。
~日光街道の先に~
宿駅の歴史を感じながら、のんびりと旅行を楽しむのもいいものですね。
また、奥日光には「休暇村日光湯元」もありますので、ぜひ、日光街道「宿駅」めぐりの最終目的地としてお楽しみください

休暇村日光湯元

~千手ヶ浜クリンソウの開花情報~

日光湯元ビジターセンター最新情報:【6/7】千手ヶ浜のクリン

休暇村日光湯元 スタッフブログ:千手ヶ浜「クリンソウ」のご案