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2022.03.29

絶大な権力者?第26代「継体天皇」

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スタッフ名:阿久津

越前国を治めていた「男大迹王(おほどのおおきみ)」
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 現代までつながる天皇系統の始祖として知られる「継体天皇(けいたいてんのう)」。当時は天皇という称号は使われておらず、「オオキミ」や「スメラミコト」と呼ばれていました。  
 『日本書紀』などでは、神話として描かれる天皇も多くその実在が不透明ですが、継体天皇は仁賢天皇(にんけんてんのう)の皇女を皇后に迎え、二人の子には29代欽明天皇(きんめいてんのう)がいます。その後の天皇はすべてこの欽明天皇につながります。因みに、継体天皇は聖徳太子の曽祖父です。
大和政権の危機!
 皇位継承のライバルを全て殺した第21代雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)。そのせいで後継者がいなかった第25代武烈天皇(ぶれつてんのう)が506年に崩御すると、大和政権の王統が途絶えそうになります。それに慌てた大連らが、第15代応神天皇(おうじんてんのう)の五世孫で、越前国にいた「男大迹王(おほどのおおきみ)」を推挙。507年、「男大迹王(おほどのおおきみ)」は「継体天皇」として即位します。57才のことでした。
 
継体天皇のプロフィール
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 父は近江高嶋郡三尾にいた彦主人王(ひこうしのおう:応神天皇の玄孫)、母は越前国坂井郡の豪族の娘の振媛(ふるひめ)。振媛が嫁いだ彦主人王は若くして没したため、郷里に帰り継体天皇を育てたとされています。
 継体天皇は、普通であれば天皇にはなれない血筋ですが、父系・母系、その姻戚、また本人の姻族を連ねると能登・加賀・越前・近江・美濃・尾張と、地方豪族連合が畿内を囲むようで、更に、継体天皇は朝鮮半島との交流もあったため、大和政権からすると「NO!」とはいえず、敵に回したくない大実力者だったといえます。

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牛ヶ島石棺(現在、霞ヶ城公園に保管されている4世紀頃の石棺で、振媛一族の石棺とも云われています。坂井市指定文化財)
石塚神社岩座(男大迹王がこの岩の上に立ち、三国の河口を開く工事に取り組む
群衆の指揮をとったとの言い伝えがあります。坂井市指定文化財。)
天皇堂(男大迹王に対して即位の要請に来た臣・連らとの会見の場と伝わってい  ます。「継体天皇」が腰掛けた「腰掛け石」などが在ります。)

写真提供:坂井市文化課

 
即位後の継体天皇
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 507年樟葉宮(くずはのみや)で即位した継体天皇は、511年に筒城宮(つつきのみや)、518年には弟国宮(おとくにのみや)に宮を移し、満を持して大和の磐余玉穂宮(いわれたまほのみや)に入ったのは526年、77才でした。
 即位から20年の間は、淀川水系を基軸に鉄器の生産や加工など、ビジネスの拠点を拡大しつつ政治力、経済力を高めていたと言われます。

 三国神社隋神門(三国神社は、三国に水門を開き福井平野の治水を行ったといわれる継体天皇を祀る神社です。)写真提供:坂井市文化課
 
日本古代史上最大の動乱「磐井の乱」
 大和にはいった翌年、継体天皇は新羅(しらぎ)に攻撃されていた加耶(かや)の救援に向かうため朝鮮半島に出兵します。しかし、大和政権に不満を持っていた筑紫国造磐井(ちくしのくにのみやつこ いわい)が新羅と手を組んで大和政権に反抗。大和政権軍の行く手を妨害し、朝鮮半島への海路を断ってしまいます。継体天皇は物部麁鹿火(もののべのあらかい)が率いる軍を九州に派遣し、戦いは翌年11月に磐井が討たれるまで続きました。乱の鎮圧までにかなりの時間を要しており、磐井の乱がとても大規模な反乱だったことがわかります。
 こうして、有力な地方豪族を力で圧倒した大和政権は国内の支配体制を強化し、律令制度の「地ならし」がはじまっていきます。
古墳の実態が学べる今城塚古墳
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 「継体天皇の墓」とみられている大阪府高槻市にある今城塚(いましろづか)古墳。復元・整備事業によって古墳とその周辺はかつての壮大さが伺えます。大王の埴輪祭祀が再現されているのは日本でここだけ。家や人物、動物など約190点の形象埴輪が並ぶ姿は壮観!大王クラスの人物を埋葬した古墳の実態が学べます。
 また、近くで石橋に使われていた石材が、実は同古墳の石棺の一部だった可能性があることが分かりました。石棺材は、熊本県の宇土(うと)半島で産出する阿蘇ピンク石(阿蘇溶結凝灰岩)とも呼ばれる薄紅色の美しい石で、大王級の石棺に使用されていたことが知られています。このような石棺がなぜ作られ、どのようにはるばる九州から高槻まで運ばれたのか。継体天皇が、大王の棺を海を越えて渡すという、壮大な事業を遂行できる絶大な権力を保持していたことの証であるとも言われています。
 3度遷都し、即位20年目にようやく大和入りした「継体天皇」。そのロマンに迫る旅、おすすめです。

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今城塚古墳内濠   巫女形埴輪出土状況  今城塚埴輪祭祀場  阿蘇ピンク石  阿蘇ピンク石製石棺(復元)  写真提供:高槻市立今城塚古代歴史館
 

たかつき歴史Web 史跡今城塚古墳

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