島めぐり、神社めぐり、寺めぐり、岬めぐり、美術館めぐり、全都道府県めぐり、建築物めぐり etc.
いろいろな「めぐる旅」を楽しんでいる方も多いと思います。「めぐり」は ∞ 。
旅の楽しみが増える「日本百名城と続・日本百名城をめぐるアプリ」のお話です。
その場所に行くと「青」、このアプリを手にする前に行った場所は「緑」、まだ行っていない場所は「赤」です。
その場所に行くと、こんなものがコレクションできます。
家紋です。これは、宇喜多家の家紋で、「剣片喰(けんかたばみ)」と言うそうです。
黒い外壁と白い外壁
真っ黒なお城。なんとかっこいいデザインでしょう。黒いお城は、豊臣時代のお城が多いと聞きます。「岡山城/別名 烏城(うじょう)」です。白いお城の代表は、徳川時代に築城された「姫路城/別名 白鷺城」でしょうか。
岡山城は、豊臣家を支える豊臣五大老(徳川家康・毛利輝元・上杉景勝・前田利家・宇喜多秀家)の一人、宇喜多秀家が築城したお城です。この五大老の中で、関ヶ原の戦いで、豊臣方の西軍として、東軍の徳川家康と実際に戦ったのは、宇喜多秀家だけです。関ヶ原の戦いでの宇喜多軍は、西軍では最大の1万7,000人です。豊臣一門で東軍についた福島正則隊と戦闘を繰り広げますが、同じく豊臣一門の小早川秀秋の西軍から東軍への寝返りで西軍は総崩れとなり、宇喜多隊は壊滅したようです。
宇喜多秀家は関ヶ原の戦いに敗れ、八丈島に流され50年を過ごし人生を終えました。八丈島の生活では、妻の実家である加賀前田氏らの援助もあったようです。このことを思い出すと悲しい気持ちにもなりました。
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ある県の象徴
次はこのお方が築城したお城です。
このお方の登場までは、この県の象徴でした。
築城の名手、加藤清正の熊本城です。
少年の頃から豊臣秀吉に仕えていた加藤清正が築城した熊本城には、豊臣家の有事に際して豊臣秀頼を密かにかくまうためにつくられたと言われる部屋もあります。石垣の凄さにも驚きました。築城から2世紀半以上の時がたった明治に起こった西南戦争時でさえ、西郷軍はこのお城を落とすことはできませんでした。西郷隆盛は「新政府軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」という言葉を残したという話もあります。
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最後は不思議な形のお城
矢じりのような形のところがあったり
ジグザグしてたり
函館にある「五稜郭」です。
私には、この五稜郭に関して、二つの疑問がありました。
①なぜ、こんな形のお城が日本にあるのか?
②なぜ、新撰組副長の土方歳三が、京都からこの場所まで来たのか?
①の答えは、戦国時代のお城ではなく、幕末に造られたお城で、大名間の戦いではなく、外国からの防衛を想定したお城だということ。かつこの時代、鎖国を続けていた日本に、西洋式のお城を設計できた人物がいたというのが答えでしょうか。
②の答えは、司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んでよくわかりました。公開が延期になっていた映画「燃えよ剣」が、秋に上演予定のようです。土方歳三役は岡田准一です。こちらをご覧になるとよくわかると思います。
映画「燃えよ剣」
最後に、このお城めぐりアプリの「家紋」ではなく、「済」というのは何なのかというと、このアプリを手に入れる前に行ったお城です。北海道、東北のお城もそこそこ行ってるのですが、すべてアプリ前で、いつか、もう一度と思っています。
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