観光
2025.04.15
114 view
スタッフ:江柄
明治24年(1891年)3月27日の豪雨の夜、一人の女性が下田街道沿いの稲生沢川の淵に身投げをした。
その女性の名は斎藤きち。“唐人お吉”と呼ばれた女性であります。
きちは、安政4年(1857年)に、当時下田に滞在していたアメリカ総領事のハリスの「身の回りの世話」を
するよう説得されました。人生を決定する転機が訪れた時でもあります。
ハリスは、看護をしてくれる女性を希望したと言われるが、幕府はこれをきちに白羽の矢を立てたと言われています。
期間として約2ヶ月の勤めであり、支度金25両のことや、異国人の私的な身の回りの世話をしたという偏見、報酬の高さ(月給10両)からくる妬みのせいか、その後きちは下田の町で「唐人お吉」と呼ばれ、迫害を受けるようになりました。
下田の人々に嫌われ続けたきちであったが、下田を離れてもまた下田に戻ることを繰り返しており、下田を愛していた、そんな人生であったのではないかと思いました。
川沿いは散歩コースにもなっており、池の中には、鯉もいます。
近くに行った際に、寄ってみてはいかがでしょうか。
メールアドレスとパスワードの
ご登録がお済みの会員様
ご登録のメールアドレス・パスワードを入力後、
ログインしてください。
Qカードをお持ちで
メールアドレスのご登録をしていない会員様
初めてご登録されるお客様
※お客様の入力された情報は
「SSL暗号化通信」により保護されています。
安心してご利用ください。