山線鉄橋の歴史
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スタッフ名:馬場
いつも休暇村支笏湖の新着情報をご覧頂きありがとうございます。
支笏湖温泉街の名所といえば、皆様ご存知の通り山線鉄橋です。
その山線鉄橋は、元々は違う場所の橋であったことはご存知でしょうか?
明治32年に北海道官設鉄道(のちの国鉄)、上川線、砂川・妹背牛間に架設されていたものが、大正12年に架け替えのため王子製紙に払い下げられ支笏湖へとやってきました。
明治41年から昭和26年まで、山線は王子製紙の専用軽便鉄道の路線として活躍しており、大正11年には一般の旅行客も乗車していました。しかし、あくまで資材運搬が仕事であるため切符には「人命の危険は保証せず」と書かれていたと言います。
昭和42年に王子製紙から千歳市に寄贈され、老朽化に伴い解体か保存かで議論が行われましたが、平成9年に復元工事が行われ当時の姿を今なお残しています。
鉄道建設技師長のイギリス人、チャールズ・ポーナルの設計した、英国製のダブルワーレントラス橋は日本に現存するのは支笏湖の山線鉄橋を含めて4基のみであり、大変貴重な文化資料なのです。
今回は簡単なご紹介となってしまいました。
もっと詳しく知りたいという方は、支笏湖温泉街にあります、「王子軽便鉄道ミュージアム山線湖畔駅」をお訪ね下さい。山線の歴史をジオラマや映像で詳しく、楽しく知ることができます!