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2020.08.11

滋賀と藩

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スタッフ名:西館 菱岡

皆さんは滋賀県が元々滋賀県と呼ばれていなかったことを知っていましたか?
今回は滋賀県の呼び名の歴史を中心にお話ししていきます。
 
まず江戸時代には、滋賀県は近江国と呼ばれ、約八カ所の藩に分かれていました。
北部の大部分のまとまった場所は″彦根藩”。
その他の小さな場所は”膳所藩””水口藩””大溝藩””西大路藩””宮川藩””山上藩””三上藩”といった小藩で構成されていましたが、藩主同士の争いなどがあり、領地区分は複雑でした。
また、鎌倉時代から続いていた商工業が発達し、現代の犬上・愛知・神崎・蒲生・高島の各郡、特に八幡、日野、五個荘などから近江商人を多く輩出しました。
 
次に明治時代にさかのぼります。
明治時代初期の明治維新と呼ばれたこの時代。さまざまな改革が行われました。
身分制や、経済、文化、産業、宗教、外交に至るまで沢山の改革が行われる中、廃藩置県というものも同時に行われました。
各藩は各県に。
1871年11月22日、新たな”大津県”と”長浜県”に統合されました。
イメージとしては滋賀県が真っ二つになっている状態ですね。
ですが、翌年の1872年1月19日に”大津県”が”滋賀県”に、2月27日に”長浜県”が”犬上県”になり、また、9月28日には両県が合併し、”滋賀県”が誕生しました。
こんなにも名称がコロコロ変わるなんて滋賀県民でも思ってもみなかったでしょうね。
滋賀県が誕生した後、1876年8月21日から1881年2月7日までの約4年半は現在の福井県嶺南地方も滋賀県でした。
なので、この間は滋賀県は若狭湾=海に面していた事になります。
(ですが、その後正式に福井県設置をともない、滋賀県から離れ、今となっては”海なし県”とも言われるようになりました。)
この四年間には行政区間として郡が発足されました。
滋賀県の郡は全部で13区域に分けられ、その中には”滋賀郡”という郡もありました。
滋賀郡は現在の高島の一部と大津市の大半を占めていた郡で、大津県が滋賀県に変わったのは大半を占めていたからなのがわかりますね。
滋賀郡の由来は諸説が沢山あります。
「石の多いところ」を意味する「シカ(石処)」に由来するという説。
砂州または低湿地を意味する「スカ(砂処)」に由来するという説。
志賀島の「シガ」に由来するという説など。
確かに石は多い、琵琶湖の浜には砂が沢山あるので全て関連していると思いませんか?
もし、琵琶湖の浜の砂を表現している名前なのであれば本当に琵琶湖を大切にしているという思いが伝わってきます。
 
昔の人も琵琶湖を眺めながらひたすらに近江国にふさわしい名前を考え抜いたんだなと思うとすごく滋賀県という名前が暖かく感じますね。
皆さんも琵琶湖を眺めながら自分だったら。。と考えてみてください。
少し昔の人の気持ちがわかるかもしれませんね。
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