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2024.07.10

戦国の秋田を駆け抜けた角館の鬼!?「戸沢盛安」について解説

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スタッフ名:藤原

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こんにちは!
今回は角館の偉人紹介と題しまして、戦国時代の秋田で活躍した「戸沢盛安」についてご紹介します!

戦国時代、雪国であるここ東北地方でも多くの戦国武将が生まれ多くの合戦が行われました。
初代仙台藩藩主伊達政宗公などが中でもとくに有名ですね
ですが!今回ご紹介する戸沢盛安も伊達政宗に勝るとも劣らない濃い人生を送った人物なんです(^O^)

戦国時代の秋田を駆け抜け角館の地を守り続けた角館の鬼「戸沢盛安」について、また秋田の歴史についても知っていただけると嬉しいです!
戦国時代の秋田~戸沢盛安の誕生まで
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戸沢盛安の出身である戸沢氏は平氏の血を引く由緒正しい武家でした。
1200年ごろに源頼朝によって現在の雫石のあたりに領土を与えられる形でこの地に入ります。
そして1400年ごろに角館の地に入ると角館北小松山というところに「角館城」という山城を建設します。

(この角館城跡、現在は立ち入りが残念ながら禁止されてしまっていますが、シーズン中は頂上まで登ることができ角館の地を一望できるスポットです)

戦国時代の秋田はかつて出羽国と呼ばれ、東北地方でも屈指の激戦区でした。
男鹿半島から秋田沿岸部までを安東氏が支配し、仙北には小野寺氏などの豪族がひしめき合い
岩手から青森までを勢力下においていた最大勢力南部氏が参入を狙う...
まさに群雄割拠の秋田、そんな角館の地で1566年2月、戸沢盛安は16代当主・戸沢道盛の子として生まれます。
次男であったため家督継承権はありませんでしたが17代の兄・戸沢盛重は病弱であり1578年に家督を放棄、自然に盛安が家督を継ぐことになりました。
この時盛安わずか13歳、群雄割拠の秋田での彼の戦いが始まりました。
 
困難を乗り越え大躍進を遂げる
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困難な統治を託された盛安ですが17歳の時、安東氏当主の安東愛季が内陸部へ侵攻を開始
3000ほどの兵を率いて攻めてきました。
この時近隣の兵を集めても1000ほどしか盛安のもとに集まらなかったとされています。
しかし盛安は地の利を生かした戦いでこれに勝利し安東氏の進行を阻止します。

そのまま山形を拠点としていた最上氏と連携すると仙北の小野寺氏を攻撃、
安東・小野寺といった勢力相手に一歩も引かない戦いを展開します。
 
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1582年には南の大曲地方へ進出。
阿気野の戦いで自ら先頭に立ち指揮を執り小野寺氏に大勝を上げます。
この戦いで盛安は敵の武将小清水蔵人との一騎打ちに勝利するなど自らも武功を立てています。
そのあとも小野寺・安東・南部らの侵攻が続くもことごとくこれを撃退します。
ちなみにこの際捕虜にした敵兵を一切傷つけず、戦いが終わると元の領土に返すという
紳士すぎるエピソードが残っています...

また知略にたけていたともされる盛安は天正7年(1579)に安土城の織田信長に名馬・鷹を献上し、
中央とのコネクションを作るのにも成功します。
また角館城の城下町も整備し、善政をしき民衆からの支持を集めました。

そんな彼の文武両道、勇猛果敢さは東北全土に広まっていき、いつしか盛安は鬼を意味する
夜叉九郎という異名で呼ばれるようになっていきます。
豊臣秀吉に会いに行こう!
東北情勢は群雄割拠の時代となっていましたが、中央では本能寺の変後急速に勢力を拡大した
豊臣秀吉による天下統一が目前に迫っていました。
天正18年(1590)に秀吉は現在の関東を拠点に活動していた小田原北条氏討伐を決意
東北の戦国大名にも小田原への参陣を命じます。
この時東北の大名の反応は様々ですぐに小田原に向かった大名もいれば、
伊達政宗のように最後まで向かうのを渋った大名もいました。
中央の実権を握った秀吉の命令を無視するわけにはいかない...
盛安は小田原へ向かうことを決意します。

しかし、問題はどう向かうか...
小田原へ向かうには陸路か海運のどちらかで行く必要がありましたが、
海運は安東氏に実権を握られ通ることが出来ず、陸路で南下しようにも敵対する南部・小野寺が邪魔をします。

やむなく小野寺氏の領土を通ることになった盛安は腹心10名ほどを引き連れて角館を発ちます。
そしてこの時盛安は配下を商人に、自分をその護衛に変装させて小野寺氏領内を通過します。
秋田から小田原(静岡)までは陸路で約700km!

破天荒な逸話が残る戦国時代でも屈指の破天荒なエピソードです...(゚∀゚ ;
荒れ狂う大井川を前にどうする盛安!
そして困難はありながらもなんとか静岡までたどり着いた盛安一行でしたが
ここで最大の危機にみまわれます。
静岡県金谷町までついたときに秀吉が一足早く島田町のほうに陣を移したとの知らせを受けます。
急いで戻る一行でしたが目の前には大雨で増水した大井川が。

家臣達は今日の渡河を中止しようと盛安に進言しますが盛安は一刻も早い参陣こそが
領土の安全につながるとわかっていました。
そして家臣の制止を振り切り大井川に飛び込むと提灯を片手に見事泳ぎ切って見せたのです!

そしてついに秀吉と対面、領土の安全が保障されることになりました。
びしょ濡れながら秀吉と対面した盛安の行動に秀吉は感激、
持っていた太刀をお礼として与えた、と伝わっています
角館の鬼、静岡にて力尽きる
そのあと追いついてきた家臣とともに北条氏討伐に加わった盛安でしたが、
その陣中で体調が悪化、北条氏滅亡と時を同じくして陣中にて亡くなります。
享年25でした。

残った戸沢氏は弟の戸沢光盛が跡を継ぎますが、17歳で彼も亡くなってしまいます。
しかし家臣や領民は以後も戸沢氏を支え続け盛安の息子戸沢政盛が20代目当主に就任します。
そして関ヶ原合戦後秋田に入った佐竹に代わって茨城県に移りました。
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以上が角館の鬼「戸沢盛安」の解説になります。
群雄割拠の戦国時代を通して盛安は戦い続け戸沢氏を後世へと残しました。

現在は立ち入れなくなってはいますが角館城跡には戸沢氏の城があったことを
残す石碑が建てられています。

少し長い解説になってしまいましたが(゚∀゚ ;)、ご覧いただきありがとうございました!
角館に訪れる際は、この地を守り続けた戸沢盛安のことを思いながら
歩いてみるのもおススメですよ!

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