豪姫と秀家
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スタッフ名:大森
みなさん、こんにちは。
今日は、少々マニアックな歴史のお話。
加賀百万石の礎を築いた人といえば、そう、前田利家ですね。
その四女で、豊臣秀吉の幼女となり、宇喜多秀家に嫁いだ方がいました。「豪姫(ごうひめ)」です。
宇喜多家は、現在の岡山県の戦国大名で、当主の秀家は五大老(徳川、前田、毛利、上杉、宇喜多)の一人でしたが、関ヶ原の合戦で西軍の主力として戦ったため、八丈島に島流しになってしまいました。
ちなみに、江戸時代、町奉行のお裁き「遠島を申しつけるっ!」で有名な八丈島ですが、流刑地となったのは宇喜多秀家からだそうです。
さて、豪姫は、関ヶ原後、前田家に戻り61歳で没しましたが、その菩提寺が金沢にあります。
繁華街片町から徒歩5分、犀川大橋を渡ったところにある大蓮寺です。
交通量の多い通りに面していますが、境内に入るとひっそり。裏手に墓所があり、秀家と豪姫の供養塔が並んでいます。2人は大変仲のよい夫婦であったようですが、供養塔も仲睦まじく並んで立っています。2人が引き裂かれたのは、秀家28歳、豪姫26歳という若さ。切ないですね。
八丈島での生活は厳しかったようで、前田家は豪姫との縁から明治維新まで毎年米を送り届けたそうです。また、維新後の赦免で東京に渡った子孫を板橋で預かったのも前田家とのこと。すごいですね。
ちなみに右側の写真は八丈島の2人の像。西(備前方面)を向いています。(出典:八丈島観光協会)
大蓮寺は、西茶屋街や忍者寺として有名な妙立寺の近くですので、時間があれば是非立ち寄ってみてくださいね。
ちなみに、宇喜多氏、豪姫の関係からか、石川県での知名度は非常に高いです。たぶん岡山よりも。