みちのくひとり旅82 河崎の柵 擬定地
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スタッフ名:吉田
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今回紹介するスポットは気仙沼から一関へ向かう道沿いにある史跡「河崎の柵」と「覚鱉(かくべつ)城」の擬定地です。
この2つの擬定地は、一関市川崎町の北上川沿いに位置しています。
「河崎の柵」とは1056年、前九年の役で、安倍貞任が朝廷軍源頼義を迎え撃つため、兵を構えた場所のことです。
この地で行われた戦いは「黄海(きのみ)の戦い」と呼ばれ、朝廷側の頼義が大敗したことで奥六郡と呼ばれる現在の奥州市から盛岡市までの範囲を安倍氏が実権を握ることになりました。
「覚鱉(かくべつ)城」とはこの黄海の戦いよりさらに昔、八世紀中ごろに蝦夷侵略に全力をあげていたヤマト政権が胆沢進攻を目指す軍事基地として造営されましたが、780年に起きた「宝亀(ほうき)の乱」により中断し、その後歴史から姿を消してしまったと言われています。歴史好きの間では『まぼろしの覚鱉城』とも呼ばれている城です。
皆様も是非気仙沼から一関の道中にある東北の歴史が詰まったこの擬定地を訪れてみてはいかがでしょうか。
その『擬定地』というミステリアスな響きと東北最大の河川・北上川沿いにあるその雰囲気がきっとその探求心に刺さるはずです。