松陰に 思いを馳せる「まどが浜」
1,740 view
スタッフ名:市原
教えて 松陰先生!
伊豆急行下田駅の駅前ロータリーから道路を挟んだ向かい側にある下田ロープウェイでは、気軽に空中散歩が楽しめます。(下田駅から休暇村まで路線バスで20分ほどです)
山頂の「寝姿山」からは、その昔、嘉永7年(1854年)ペリーが日米和親条約締結のために下田に来航した際、黒船艦隊が停泊していた「まどが浜」を含む「下田湾」が眼下に広がります。
当時、吉田松陰は、世界の情勢を知るために「まどが浜」に停泊していた黒船に乗り込む密航計画を企て、金子重之輔と2人で海岸につないであった漁民の小舟を盗んで下田湾内の「弁天島」から旗艦ポーハタン号に漕ぎ寄せ乗船しました。通訳のウイリアムズに必死に交渉しましたが、結果的に断られ、下田奉行所に自首、江戸伝馬町牢屋敷に投獄されました。そのときの自らがした行動を自首する形で隠さなかったことで、この話題は世間に広がり、当時の武士たちに大きな影響を与えることになります。
そして、長州へ檻送されたあと、安政4年(1857年)に叔父が主宰していた松下村塾を引き継ぎ開塾、その門下からは、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎など多くの英才が輩出され、明治維新の原動力となっていくわけです。
その後、安政5年(1858年)時の老中・間部詮勝が勅許なく日米修好通商条約を締結すると、それを激しく非難。安政6年(1859年)幕府の安政の大獄で江戸に送致、老中暗殺計画を自供し、斬首(享年30)という数奇な運命をたどるわけですが、そんな松陰に思いを馳せながら「まどが浜」を眺めていると、160年前の歴史物語に心打たれる思いです。
伊豆半島は、そんな切ない歴史物語がいくつも残る土地柄なのです。(つづく)
黒船見張り台
幕末の寝姿山には外国船を監視する「黒船の見張り台」がありました。下田奉行所より数名の役人を派遣し、日夜黒船の警戒に当たらせたのです。現在その跡地には復元された大砲が設置され、当時の見張り人の様子も再現されています。
山頂へは下田ロープウェイですぐです。下田の歴史に浸ってみてはいかがでしょうか。
MORE
このブログで紹介された観光地・イベント情報