有名銘菓 「崋山最中」 と 天保の飢饉 を乗り越えた物語
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スタッフ名:福井
時は天保6年、三河田原藩の藩士である渡邉崋山は、領民の安穏を願って、いつ訪れるであろう食料危機に備えて地元田原城の南に食料備蓄庫をつくりました。田原藩では、この穀倉のことを「報民倉」と命名し、天保7年(1836年)から翌年にかけて起こった天保の大飢饉を凌いだことからも言い伝えが今に残ります。
現在報民倉は実在しませんが、この出来事と渡邉崋山を偲んでつくられた 「崋山最中報民倉(かざんもなかほうみんそう)」 は地元田原の有名銘菓として親しまれています。
パッケージは当時の穀倉をイメージしてつくられた蔵になっています。開けてみると餡の入った壺に俵形の最中が入っています。ご自分でお好みの分量の餡を入れて手詰めならではの,最中の香ばしいパリパリ感を一緒に楽しむのがこのお菓子の醍醐味です。
休暇村からお車で30分ほど、田原城跡の傍にある 「冨貴屋(ふうきや)」 という菓子店でお買い求めいただけます。
地元田原の歴史と情緒が詰まったお菓子をお土産にいかがでしょうか?
[冨貴屋]
住所:田原市田原町築出57-13
℡:0531-22-0248
営業時間:9:00~19:00
定休日:月曜日