福井県の歴史、伝説によく出てきます。-「継体天皇」-
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スタッフ名:杉森
このたびの水害で被害に遭われたと聞き、心からお見舞い申し上げます。
ご家族の皆様はご無事でしょうか?一日も早く元の生活に戻れるよう、心からお祈りしております。
こんにちは!スタッフの杉森です。
今回ご紹介するのは、福井県の歴史、伝説、逸話に多々出てくる「継体天皇」です。「継体天皇」は福井、特に休暇村越前三国がある坂井市三国町にゆかりがあります。
「継体天皇」とは
6世紀はじめのころ、第26代に数えられる「継体天皇」は、越前の三国の坂中井出身だといわれています。先代天皇の後継者が絶えたため、越前から迎えられたと「日本書紀」にはありますが、大和に入るのに20年も要しており、謎に満ちた天皇です。彼は応神天皇(第15代)の5代孫にあたるらしいのですが、いくら後継者が絶えたとはいえ、大和王朝の天皇を遠い国から呼び寄せるということは、日本史上、例がありません。
治水事業伝説
「継体天皇」の時代は、現在の福井平野は大きな湖や沼があり、そこへ九頭竜川、日野川、足羽川が注いでいたといわれています。そこで、継体天皇が三国に水門(みなと)を開いて平野の水を海に流すと、広大な福井平野が現れたという伝説が残っています。この功績に感謝して、坂井市三国町の三國神社では継体天皇を祀っています。また、坂井市春江町にある石塚神社の磐座(いわくら)と言われる大きな岩は、継体天皇が治水工事の陣頭指揮を執るために立っていた岩だと伝えられています。
久しぶりに足羽山に登りに行きました。イメージでは楽に登れそうだったのですが、階段を目の前にして愕然としました。日頃の運動不足の自分には、かなりハードルが高かったです。
やっと、登ったと思ったら試練はまだ続きます。「継体天皇」像までは急な階段が続いていました。写真左の草木は若干色づきはじめ、まだ暑いですが秋は近づいているようです。
階段を上るとようやく「継体天皇」像の後姿が見えてきました。この像の台座は東西南北に向いていますが、何故か「継体天皇」像の上半身は北西を向いています。それはどうも自身の出身地「三国」の方角を向いているみたいです。
笏谷石採掘伝説
笏谷石(しゃくだにいし)は、福井市足羽山付近で採取される火山礫凝灰岩(かざんれきぎょうかいがん)です。色が美しく、柔らかいため細工がしやすいという特長を持ち、墓石や石仏の材料、塀などに利用されてきました。「笏谷石は継体天皇が発見し、その利用方法を民に教えたものである」という伝説があり、越前の古墳から出土する石棺はほとんどが笏谷石製です。
ちなみに足羽山の継体天皇の石像も笏谷石で作られています。
北西の方角。「継体天皇」が自分で礎を築いた三国の街の方角を見下ろしています。
今回のご紹介は以上になります。「継体天皇」像がある足羽山はもうしばらくすると、紅葉がすすみ散策コースとしては魅力的です。休暇村越前三国お越しの際には是非行ってみてください。いい気分転換になりますよ。
「継体天皇」像 福井県福井市足羽上町, 足羽山公園内 休暇村越前三国から車で約70分