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2024.04.03

福井の玄関口は一乗谷の門と蟹と恐竜?-朝倉家-

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スタッフ名:杉森

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こんにちは!
今年度も隔週ですが、福井の歴史、文化を皆さんにお届けしたいと思います。今まで、城、史跡等を中心にご紹介してきましたが、これからはそれにまつわる文化やイベントなどもご紹介していきたいと思います。乞うご期待!

今回は福井県の誘客促進の為、県が設置した唐門風モニュメントを紹介したいと思います。
モニュメントは、幅4.5m、高さ3.9mで朝倉氏遺跡に残る唐門の風情を再現しています。見に行ったのが夜だった為、門をくぐる事が出来なかったのがとても残念です。
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モニュメントがある福井駅東口のエントランスは、とても素敵な空間になっています。恐竜の骨格模型、そして朝倉氏陣幕の前に甲冑が描かれているタペストリーが堂々と鎮座しています。正面に唐門のモニュメント、右を見ると蟹のタペストリー、左を見ると朝倉氏のタペストリーと恐竜の骨格模型、これでもかと福井県の魅力を押し出しています。

-朝倉家について-
戦国時代、朝倉家と聞くと弱小大名の代名詞となっています。しかし、武力では室町将軍の名の下、治安維持のため何回も京へ出兵を繰り返しました。また、歴代朝倉氏の拠点である一乗谷は「北の都」と謳われる程の一大都市。京から近いため、応仁の乱で京から逃れた貴族や文化人の受け皿となり、雅な文化が一乗谷に広まったのです。こうして「朝倉孝景」は軍事力と豪華な都市で影響力を高め、幕府内での地位を上げていきました。
そんな朝倉全盛期に生まれた「朝倉義景」は、幼い頃から和歌や漢詩をたしなみ貴族のような暮らしを過ごしていたそうです。当初は「朝倉宗滴」の補佐をうけ順調な統治、開発を行っていました。特に一乗谷の近くの”九頭竜川”から下り”三国湊”の支配には力を入れ、琉球王国との勘合貿易を合意させ”越前の国”を一大交易拠点にしていきました。しかし、補佐役の「朝倉宗滴」が亡くなると、「朝倉家」に陰りが見え始め、後は皆さんが知っての通りの結末になってしまいます。歴史にタラレバはありませんが補佐役の「朝倉宗滴」が「朝倉義景」と同年代であったらと思ってしまいます。
 
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-こんな所にも-
朝倉・永平寺ダイレクトバス乗り場の支柱に、朝倉家の家紋「三ツ盛木瓜」がラッピングされています。この「三ツ盛木瓜」をデザインしたのが三田村敦さんで、「モニュメントを通って本物の唐門を見に行ってほしい。ラッピングはけばけばしくならないよう、原色を使わず和風の色に仕上げた」と語っていました。実際みてみると、落ち着きのある色合いなのにカラフルで見ていてワクワクしました。また、近くにはアオッサというガラス張りのビルがあり、このビルの光のコントラスとラッピングされた支柱の調和が夜の景色に彩りを与え、特別な空間を創り出していました。

今回のご紹介は以上になります。北陸新幹線が開通し、より福井県に来やすくなりました。是非、来福頂いて、一乗谷朝倉氏遺跡博物館に拠って頂ければ「朝倉家」のイメージも変わると思います。その時は休暇村越前三国をご利用ください。

「福井駅東口」 福井県福井市手寄1-14 休暇村越前三国より車で約50分

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