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2023.12.27

朝倉家、一乗谷より前の居城 -「大黒丸城跡」-

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スタッフ名:杉森

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こんにちは!
大変な事が起こりました。なんとロジャースに山本由伸選手が入団しました!大谷選手と山本選手、その他にもダルビッシュ選手がいるパドレスに松井裕樹選手が入団します。しかも、開幕戦はロジャースvsパドレス。そして、その試合は韓国で行われ日本のファンも大興奮で参加出来そうです。何故メジャーリーグの開幕戦が他国で行われるかというと、野球文化を全世界に根付かせる為に話題性のある開幕戦を各国で行うそうです。とりあえず、そんな思惑より身近でこんな凄い事を体験できるかもしれないと思うと体が熱くなる今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
スタッフの杉森です。

今回ご紹介するのは「大黒丸城跡」、タイトル通り朝倉家が一乗谷に居城を構えるまで7代130年間、越前の拠点とした城跡です。
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大黒丸城は建武4年に足利高経に従い、但馬国から越前国に下向した朝倉広景が黒丸庄を知行する一条氏の目代となり居城として「大黒丸城」築城しました。ちなみに「大黒丸城」は福井市三宅町にあり別名「三宅黒丸城」と呼ばれ、南東の支城「小黒丸城」とあわせて「黒丸城」と総称されていたそうです。
足利高経は越前国守護職として越前国府に入り政務を執ったものの南朝方の有力武将である新田義貞と脇屋義助兄弟に攻められ敗北した為、国府を追われ「黒丸城」に退去しています。その後、高経は黒丸城を拠点として南朝方と対峙し、建武5年には藤島の戦いで新田義貞を討ち取っています。
藤島の戦いで敗れた新田義貞の墓が福井市新田塚町にあります。お察しの通り町名の由来は新田義貞がここで亡くなった場所だからです。近くの田んぼには、沢山の兜が出土しているそうです。
しかし、延元4年脇屋義助の反撃により黒丸城は落城し、高経は加賀国に落ち延びますが、その後、体制を整えた高経は越前国に侵攻し黒丸城を奪還、敗北した義助は美濃国に落ち延び、北朝方は暦応4年頃までは越前国全域を掌握しています。その後も朝倉家は黒丸城を居城として足利家(斯波家)を主家と仰ぎ、その被官として越後国の経営に尽力していますが、足利家が次第に衰微する一方で、朝倉家は台頭するようになり、5代当主朝倉教景の代に越前国内に大きく勢力を拡張し、7代朝倉孝景は足利家や越前国守護代甲斐氏等の反対勢力を一掃し越前国を掌握すると念願だった越前国守護職に任ぜられています。
「大黒丸城」は約70m四方の単郭の平城で、周囲を堀と土塁で囲っていたようです。土塁の一部と詰城と思われる背後の高台に空堀の一部が残っています。
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「大黒丸城」は九頭竜川畔にあり、坂井平野の物資を福井方面に輸送する物資の集散地として、また軍事上も要害の地でした。実際足を運ぶと、小さな公園になっていました。小高い丘に登ってみると何かの社があって、どうもこの場所が櫓だったようで、この場所の下が堀になっていたと推測できます。そのほかに「大黒丸城」の案内看板、何かの石塔が立っており重要な場所ということは容易に想像できました。ここで力を蓄え、一乗谷に居城を移し、朝倉氏5代103年の祖となっていきました。

今回のご紹介は以上になります。やはり福井県は朝倉氏。歴史上ではよく織田信長と同じ時代を生きた事で、臆病者で弱いイメージがついていますが、数多の戦乱を生き抜いてきた立派な戦国大名だったと感じられました。是非、一乗谷と一緒に朝倉氏の歴史を体験してみませんか。

「大黒丸城跡」 福井県福井市三宅町19 休暇村越前三国より車で約30分

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