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2022.03.18

鎌倉殿の13人と淡路島

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スタッフ名:休暇村南淡路

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と淡路島

いま人気急上昇中の大河ドラマは、平安末期~鎌倉幕府創立が題材となり、そして合議制で運営した幕
府の要職13人に脚光を当てていきます。 
キャスティングとかストーリー展開とか、いつも面白く聴しています。
みなさまはいかがですか?
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○まずは歴史背景などからご紹介
保元・平治の乱(1155年)の後、後白河天皇【ドラマでは西田敏行】のもと、武士としてはじめて太政大臣に昇り詰め、武力の長となった平清盛【松平健】。
娘・徳子(建礼門院)は高倉天皇の中宮(お妃)に。
治承・寿永の乱(1172年/源平合戦)の後、清盛は後白河院を幽閉して院政を廃止。
実権を握るようになり、日宋貿易により資金力を強化し、その影響力を絶大なものにしていきます。
1180年、同年、高倉天皇の譲位により、清盛の孫(安徳天皇)が3歳で即位。
福原京への遷都が計画され、ここで神戸が登場します(首都であったのはおよそ半年ではありますが)。 
清盛は経済感覚に優れ、瀬戸内海から博多港を掌握し、港湾・海運環境の整備が進んだのもこの頃。
平家物語に「驕れる者は久しからず」と記され、栄華を極めていた時期と一致するのでしょうか。
 
1181年、清盛は「高熱で体から黒煙が立ち上る病」により64歳で突如病没します。悪行の報いと囁かれた急死は、大陸からのマラリアであったのではないかと云われています。
 
1183年、源(木曽)義仲に京上洛を許した平家一門は、安徳天皇と三種の神器を持って京都を脱出。
平家の西国逃亡に、倉敷で木曾義仲が失敗すると、源範頼・源義経【菅田将暉】軍がこれに替わっ
て平家討伐へ動きを加速させていきます。
ご存じ平家物語の件(くだり)に入っていきます。
○一ノ谷の合戦
1184年、摂津国福原と須磨(現在の兵庫県神戸市兵庫区、中央区、須磨区)を舞台に、都を追われていた平家が政権奪還をかけて源氏と激突した戦いです。
源義経軍は、一ノ谷の裏山である「鵯越(ひよどりごえ)」に陣を構え、ついに一ノ谷の戦いが開戦。
義経は、地元の猟師から聞いた「鹿も四つ足、馬も四つ足」という言葉とともに、ヒヨドリしか降りられないような絶壁を騎馬で駆け下り、平氏軍の背後から急襲を仕掛けます。
これが有名な「鵯越の逆落とし」です。
この状況を見た平氏軍の総大将だった平宗盛は敗戦を悟り、安徳天皇や建礼門院らを連れ、屋島へと逃れていきます。
平家一門として一ノ谷の合戦に出陣するも、16歳の若さで命を散らした悲劇の貴公子・平敦盛(清盛の甥)。 少女のようなその美貌と、敦盛を討ち取った坂東武者・熊谷次郎直実のむさ苦しい荒夷(あらゑびす。野蛮人)ぶりが好対象となって、源平合戦のハイライトとなっています。
熊谷は自分の子と同い年くらいの敦盛を討つのは不憫と思いためらいます。
しかし源氏の軍が迫ってきたためやむなく首を討ち、それが熊谷の心に後悔の念となって残り、熊谷はやがて出家し敦盛を弔ったといいます。 熊谷は、敦盛のそのいでたちから名のある公達と察してはいたものの、敦盛は名乗らず、傍らに落ちていた笛から、後に敦盛であることが知れたとも。
○一ノ谷の合戦からの敗走
平家一門は、一ノ谷の合戦の後、明石海峡を通過して高松の矢島へ向かったのではなく、「鳴門の瀬戸、淡路の瀬戸を過ぎて島かくれ行く船は、皆淡南の福良に集合したのであって、それは寿永3年2月7日から13日の夜まで7日間であった」と源平拾遺に記されています。
その時、「幼冲の天子を長く海波の上に漂わし奉ることの忍び難く、暫くの間たりとも、この要害の福良湾中に船を繋ぎ、天子を竹島に上げ申した」とあります。
この竹島とは、休暇村の眼下に見える、現在、“煙島”と呼ばれている無人の島というから驚きです。
平家が、南淡路の福良湾で体勢を立て直し、7日間、安徳天皇の御在所であったという史実はあまり知られていないことです。
そして、一ノ谷の合戦で首を刎ねられた平敦盛の首が、父・経盛に届けられ、この島で荼毘に臥されたとされている場所でもあります。
煙島には敦盛の首塚があり、名前の由来も一節にはこの物語が縁起となっています。
敦盛は青葉の笛を持ち、幼少の頃から笛の名手として知られていました。
煙島(竹島)の竹は、1年でほぼ全てが生え替わってしまうと云われ、満月の夜には笛の音が聞こえるなどとの伝説も残っています。
煙島は、立入禁止となっており、いまは地元の方々が管理しています。
 
ここから鳴門海峡を渡り屋島へ、そして壇ノ浦へと源平合戦は続いていきます。
そして、徳島県三好市から祖谷渓谷・奥祖谷へ入っていくと、平家の落ち武者伝説が各地に残っています。源氏の追っ手からの防御のために作られた“かずら橋”。 源氏の追っ手も辿り着けない、深山幽谷の世界が四国の真ん中には残っています。
 
また、平家滅亡後、源頼朝により討たれた九郎義経の妻「静御前」の墓所も淡路島・津名にあります。 
ここは、源義経との悲恋で有名な静御前の隠棲の地。 
園内には静と義経を祀る霊廟があり「静の里公園」として整備されていますので立ち寄ってみる
のもよいでしょう。
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大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が、淡路島と無縁でないことおわかりいただけましたでしょうか。
ちょっと変わった目線で、淡路島の歴史散歩をしてみるのも、意外に奥深くて面白い旅になることと思
います。
 

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